久しぶりに外国旅行をした。
若いころはそれなりに気楽に旅行ができたが、還暦も過ぎる年齢になるといざ外国旅行となると、なにか心の中で構えてしまうものがある。
仕事が忙しい、時間がとれない、などの理由を挙げて、そのため実行にはだいぶ腰が重くなる。
長年の念願であった中国旅行についに踏み切りことにした。かつて英語圏の諸国を旅行した経験はあるが、中国では英語は通じないよと人から言われた。
そんなことで旅行の前に少しでも中国語を勉強しておこうと中国人の留学生について語学の勉強を始めた。
中高年になって新しい言語を習うことは大変である。記憶力の低下と根気の衰えを身をもって体験している。
日常語が少ししゃべれる程度でいよいよ北京に旅行をすることになった。
旅の目的は広大な中国大陸を見てみたいことと北京に住んでいる、かの留学生の両親に会うことである。
空港からホテルまで旅行会社ですべて手はずを整えてもらって何とか北京市内にまでたどり着いた。
躊躇しながらホテルの電話機を取り留学生の両親の自宅に電話をした。
「いま北京のホテルに着きました。ロビーで何時に会いましょうか」という会話ができた。(中国語で!)
やがて両親と初面会をすることになったが、両親とももちろん日本語も英語も通用しないので私の頼りない中国語が唯一のコミニュケーションの手段となった。
「ニーハオ」から始まったがその後の会話はほとんど分からない。
お母さんはなるべくゆっくりと話しかけてくれるが結局はさっぱり聞き取れない。
そんなことにはおかまいなくどんどんと話しかけてくる。お父さんのほうはさすがに口数が少ない。どこでも男は寡黙なものだと感心した。
会話が進行しないので次なる手段は筆談となった。これで少しは理解が進んだが読めない漢字が出てくるので困った。簡体字のみならず見たこともない難しい漢字もある。
でもどうやらこれからレストランで食事しましょうということであった。
お母さんはタクシーの中でよくしゃべる。私とは超スローな会話を強いられていたがものすごい早口で運転手と到着地までずっとしゃべり続けだ。
ほどなくレストランに着いた。夕暮れの街路にテーブルを並べてあちこちでみんなにぎやかに食べるあの屋外食堂である。お母さんが一人取り仕切ってあれこれと注文する。三人で食べるのにものすごい量を注文している。
料理を待つ間お母さんが紙に「手洗要馬?」と書いて筆談が始まった。
ふーん、日本のレストランではすぐにお絞りが出てくるのに中国ではそんな習慣がないから、清潔好きの日本人に特別に手を洗うためのお絞りを注文しましょうか?と言っているのだなと文字を見て解釈した。いやいいですよ「不要、不要」とちょっと知っていた断りの言葉を言った。お母さんはああそうとうなづいた。
後で分かったことだが「手洗」は日本の手洗いと同じで、何のことはないお母さんは私にトイレは大丈夫かと気を使ってくれていたのであった。
トイレはいつでも「厠側」(ツアスオ)と言うと思っていたものだから、外国語を習っても、ひとつの名詞にいろいろな表現があるのを知らなかった失敗の最初であった。
正しい言葉であっても日常会話にはあまり用いられない言葉は日本語にも多くある。たとえば「便所を使いますか」などといきなり初対面の人にはいわない。日常用語を身に付けなくては本当の会話はできないことの見本であった。
さて、料理が山のように出されビールなども飲んで程よく満腹になった。
さあ帰りましょうとなったが、あまりに料理が残っている。お母さんはすかさず店の人に「これみんな包んで」といって残りの料理をみんな持って帰ることになった。
これも後で分かったことだが、中国人が接待をするときに客人にはひもじい思いをさせてはならないという習慣があるらしい。さあお食べ、さあお食べといって次々と料理を取ってきて私の皿の上にのせてくれる。
日本における客人のもてなし方から比較すると誠に家庭的な歓待振りで心温まるものであった。
また、残り料理を家に持って帰る習慣も大変合理的である。残せばそのまま残飯になってしまうが、おいしい料理はまた明日あたためて食べればよいのである。
少し昔の日本にもこのような習慣はあった。田舎の寄り合いがあった時は出席者はその場の料理を持って帰って家庭で待っている子供たちと一緒に料理を食べながら、その会の模様を語ったものである。
でも、そのような習慣はいつのまにか消えてしまって、結婚式の後でも「引き出物」などといってその場の食事とは関係ないお土産を持って帰ることになったしまった。テーブルの上にはほとんど手の付けてない料理が残っているのに。そして日本では飽食の時代となって毎日何トンもの残飯が捨てられ社会問題となっている。
北京では経済文化の発展がすさまじい。すでに発展をとげた日本が問題として抱えているように、中国でも華やかな経済発展の裏側に日本と同様にゴミ問題を抱え込むのだろうか。それとも「お持ち帰り」習慣によって、うまく残飯の大量ゴミを出さない工夫となるのか心配と期待がある。
ホテルに帰ってから、明日から始まる北京の旅行はどうなることかと好奇心とすこし不安を抱きながら床についた。