“正常”機能について

平成2年 心臓病患者の新聞 「愛媛救心友の会」 掲載

人工衛星といっても最近では別段めすらしいものでなくなった。

衛星宇宙中継でテレビは全世界中に放映されたり、これを家庭のテレビで自由に見ることもできる。

電話や天気予報などもごく日常的に普及しており、今日では人工衛星のお世話になっているという存在感も感じない程である。

あの人工衛星を打ち上げるには一昔前では大きなニュースになったものだが、近頃はごく小さを記事で報道されるにすぎなくなった。

しかし今でも時には「人工衛星口ケット打ち上げ中止」とか「整備不充分のため発射延期」などというニュースが見られる。この原因を見てみると、ごく小さなミスであったり、ボルト一本の不備であったり、あるいはちょっとした配管のずれであったと記事にでている。

こんな些細な異常であの大きな精密機械であるロケットが飛はなくなってしまう。そして我々素人はそれも当然であろうと納得している。なぜならば地球から何万キロメートルも離れたところまで無線誘導で飛行するロケットの中にはきっと沢山のコンピュータやら複雑な機械がぎっしりと詰め込まれているのであって、それを地上から無線でコントロールするものだから、ちょっとの機械の故障でも発射できないのは当り前と思っている。

人工衛星が空を飛ぶのには何十何百個という精密な機械がうまくバランスをとってようやく動き出すのであるから、この機械が全て「正常」に作動して、宇宙のある高さで止まり電波を送るなどと言うことはむしろ奇遇な事であり、不思議とも思えるものである。またこれは人間が作ったものであると認識すると、よくもそんな物が作れたものだと感心し、 また驚いてしまうものである。

人間の身体はどうであろうか。

体内には人工衛星よりもはるかに複雑を機械が組み込まれている。百や千の機械ではない。それよりはるかに沢山の機能を待った細胞臓器で成り立っている。これらの機能を調べるために、いわゆる臓器の機能検査が行われる。例えば肝臓機能検査ではよく知られているGOTやGPTといったものから、そのほか何十という肝臓の検査がある。腎臓も心臓もあるいはその他身体全体を作っている何億という細胞には、各々測り知れない程の数の機能を有しているものであり、これらの検査項目をすべてまとめるとぶ厚い一冊の本になってしまう。そして我々の生体はこれらの何百という検査の数字の中て生きているのである。動いたり、考えたり、泣き 笑い、ものを食べ、排泄しあらゆる機能が自由自在にできるのである。

体温は36.5℃ 脈拍数は70/分 血圧は130/80 などは通常我々が健康のバロメータとして知っている数値であるが、 体の中てはこんな単純を数値だけて動いているものではない。脳神経細胞からでる脳波や心筋の収縮により発生する電気の変化(心電図)、あるいは体外から来る衝撃やストレスから反射的に身を守るための神経の反応や、感染症が発生したとき、ただちに白血球が動員されて自動的に異物をやっつけてしまう作用など、体内では実に複雑な機能がみごとに作動しているのである。そしてこの無数に近い機能の数値が常にある一定の範囲にバランスよく保たれているのである。

人間の体にはこんなに数多くの「機械」をもっているのだから一つや二つがこわれてもしかたがないものとも思える。体内にある、これらの「機械たち」が全て正しい検査数値で動いている時を 「正常」と呼ぶのである。

そうしてみると身体の機能が全て正常にあることはまことに奇遇なことであるとも考えられる。細いロープの上をつたって谷渡りをするようをもので、たまたま事がうまくいったという幸運に恵まれたにすぎない。 日常、最も安定した状態が「正常」と考えられているが、それはいかに不安定な要素の集まりであろうかと思うのである。

このような正常状態が毎日続いている事は、表面的にはごく平凡な、日常的なでき事ではあるが、体の機能が正常であることを「健康」 という言葉で置き代えるならば「健康」とは数々の不安定さを乗り越えた、まさに奇遇の結果であるとも言える。

人体構造の 内的な諸機能を思うとき、我々の身体が正常な営みを続けられている事は、人工衛星が空に浮かんている不思議さよりも はるかに偉大なる不思議であり、驚きでもある。