最近歳のせいかちょっとしたことでイライラしたり、気分が集中できなかったり、漠然とした焦燥感があって心の安定を欠いている。還暦となると世間では一応出来上がった自分の人生を家族や社会から認められ、「事成れり」という安定した境地にあるように見える。同僚の友人たちもそれなりに落ち着いた「老後」を過ごしている。それなのにわが心の安定しないのはどうしてだろうと自己分析して、これは初老期の鬱症状かもしれない、と診断している。
ちょうど夏休みの宿題をそのままにしている少年時代を思い出した.夏休みが終わりに近づいているのにまだ宿題が出来ていない。机に向かうのにどうしてもやる気が出てこない。友達みんなは宿題を済ませて遊んでいるのに自分はまだ終わっていない。このまま放って置こうかとも思うがでもやはり2学期になって何も出来ていないとどうしよう。そんな時の心理状態か。いやそんなに純粋なものではない。
そればかりか近頃は風邪をひいても一向にすっきりと治らない。何時までも頭がもやもやして疲労感が残る。風邪薬を飲んでも治らない。どうも心も体もちょっと痛んで来ているようである。
さればどうすれば治すことが出来るのであろうか?
少しスポーツでもして汗をかき、快い疲労で睡眠を充分にとるか。あるいは心の憂さを酒に紛らすか。通俗治療ではこのような方法も取られるであろうが、このような手段では現在の自分の症状が解決しないことは経験的に知っている。されば他にどのような方法があろうかと考えた。
一般的にはカウンセラーの助言を得たり、あるいは精神科にいってマイナートランキライザーか「デパス」でももらって「はい、では2週間後にまたきてください」という言葉に送り出されて部屋を出るのが通常のやり方であろう。医者の手口は大体知り尽くしているものだからこのような手合いにはかかりたくない。そもそもデパスなんか昼間から飲んでフワフワとしていたら仕事ができない。個人的な色々の事情があって生じた微妙な精神の揺らぎを化学薬品で誰でも一様に治療するなんて事は乱暴なことである。だから化学薬品のお世話になるのは止めておこう。
さればどうすればよいのか?そうだ漢方薬にでもお世話になってみよう!マイルドに作用して気分が晴れてくるかもしれない。
ということで、意を決して東洋医学の診察を請うことにした。かねがねその人となりを知っているY医師ならば相談にも乗ってくれるであろうと思い多少の躊躇をしながら診察室に座ることになった。
なるべく簡潔に、なるべく正確にアナムネーゼを述べた。ここで「それではこの漢方薬をお飲みなさい」といって処方箋を書いてくれることを期待して行ったのであるが、話を一通り聞いたY医師は「それでは診察をしましょう」という。上半身をだしてうつぶせに寝てくださいという。言われたままにそのようにすると、背中になにやら電光をあてながら診察をして、右の背中に異常があるという。そうかも知れないし違うかもしれない、とにかく自分で自分の背中を見たことがないので「ああ、そうですか」と返事するより仕方ない。そこでこの背中のコリをとるために灸をすることになった。チクチクと10箇所ばかり針を刺して、灸を始めた。背中の上では何が起こっているのかは自分ではとにかく分からない。大変興味のある火事場はすぐ近くなのに、くやしいかなどうしても見ることができない。
約10分か20分間灸の時間が続いた。正確にはもっと短い時間であったのかもしれないが初めて経験するものは不安もあるし、見えないものをがまんする時には大変長く時間を感じるものである。
おいおい、自分は灸をするためにここに来たのとは違うのじゃないか。最近、心が晴れないためになにかすっきりするような漢方薬をもらいに来たのではなかったか、と灸を据えられている間考えていた。やがて灸も終わり本日はこれまでということでとにかく初日は終わった。なんとなく半分は満たされない気持ちで診察室を出た。念願の漢方薬も出して貰ったのでこれはまじめに毎日服用することにした。
1週間後に再度受診して灸をまた背中にすることになった。「いかがですか」と聞かれたが、そういえば先週と比べて少し気分が晴れてきたかなあ、と思えるようになった。
Y医師いわく、「心の重圧が体に現れてくるのですよ。だから緊張した背中の偏側に力が入って外部からでも解る変化が出ているのですよ。この緊張をとることによって筋肉の改善が得られるでしょうがこれが同時に心の改善になってくるのですよ。すなわち心が体に作用を及ぼし、また体の変化が心の変化にも作用を及ぼしているのです。灸は筋肉のリラクゼーションをつくりながら心のリラクゼーションに作用を及ぼしていくのです」
そうか肉体の病変は精神の変化の作用の結果ではなくて、精神と肉体は相互に作用しあっているものであるのか。結果の症状をのみ治すというのではなくて結果に現れている現象も原因の一種として治療する方法があるのかということを知った。
紙の裏表みたいなものかなあ。表のしわをとるのに裏からアイロンをかけても十分にしわがとれるから、体の裏である背中に灸をすえていくのかなあ。ちょっと違うかもしれないが良く似たようなものだ。
西洋医学のみの観点から病気を観ていた自分は、物事には原因があって結果がある。すなわちBの症状はAの原因によるものである。よってAの治療を行なうことこそ最も理にかなった治療法であり、Bを目標に治療することはいわゆる姑息的な治療である。例えとしては当たっていないかも知れないが、灸は“くさいものに蓋をする”ような治療であり科学的な論理的な思考過程ではないと考えていた。
近頃話題になっている某自動車会社の事故で、車軸のまがっているトラックがガタガタとするので修理工場に持っていったら、本来の問題個所である車軸は直さずに車に油をさして、ハイおしまいと修理をごまかしたというようなものか。
しかし人体を修理する病院という所は修理工場の部品の修理ではない。姑息的な治療では根本の治療にはなっていないと近頃の患者はねじ込んでくるではないか。でも実際には病院では人体修理のために車軸に油をさしただけで曲がっていた車軸までもが元に戻ることがある。故障個所を徹底的に全部治さなくても、あるいは故障個所にすべて手をつけなくとも治癒力という体内の摩訶不思議な力が治してしまうのである。
病気の体に薬を与えるとブラックボックスの中を通って出てきたら治っているという結果が現れる。西洋医学にはこのブラックボックスの思想がない。何でもかでも白日の下に晒してあらゆる理屈をつけて解明しようとする。これこそ科学であると思っている。脳細胞を分けていって顕微鏡でさがしてどこに精神の素が隠れているのか、これをつきとめるのが医学という科学であると思っている。しかしどんなに分子レベルまで下げて研究しても精神の素は発見できない。人体は単に諸臓器の集合体ではない。だから分析によっては本質は解明できない。人体はまだ解らないものがいっぱい詰まっている。
鉢植えの梅ノ木が春になったらどうして花をつけ葉を伸ばしてくるのだろうと鉢植えの土を穿り返したが何もみつからなかったという歌がある。
東洋医学で行なわれている漢方治療には本来の問題である局所の治療のためにすぐにそこに手をつけるのでなく、もうすこし遠くから人体を眺め、患者の訴えとは全く別の場所から手をつけるという手法がある。一つのことが治療されればドミノ式に効果があらわれて目的とするターゲットに治療がおよぶことになるのであろう。
病名と治療法を線で結び一問題一正解となる昨今の医師国家試験の問題集で訓練された近視眼的な治療に明け暮れる医師にはとても思いつかない手法である。
背中に灸をされながらしばし考えをめぐらせた。
科学的な思考というべきか西洋的な思想には悪いものがあれば直接にそれを叩く解決法がとられる。西部劇にでてくる物語は善玉が悪玉をやっつけて、それでおしまいとなる。そこで最近の大問題となっているイラクの政情である。フセインは悪玉だ、アルカイダは悪の根源だ。これを倒せばイラクに平和が訪れる。ということで善玉アメリカはどんどんと兵力を送り込んでイラク国内でドンパチと戦争を続けている。西部劇であればとっくに終わっている時間帯であるのに一向に事態が解決していない。一つの問題には一つの答えしかないという医師国家試験的思想でイラク国民の懐柔をしようとしてもそう単純には事が運ばない現状である。
そこでおっとり刀で参加している我が日本の自衛隊はどうであろうか。憲法の制約もありイラクでは平和貢献、人道援助のみに限られている。自爆テロだの爆撃だので毎日何人もの死傷者がでている現地で我が自衛隊はフセイン打倒を叫ぶでなく、アルカイダ抹殺をするではなく戦地にて道路を修理し、水道整備をし、学校を建て直している。
米英軍の兵士にとってはなんとも歯がゆい戦友であろうか。自分達は命をかけて戦っているのに日本のやつらは道路と水道だけ作り、戦闘が始まるとさっと自分の陣地に逃げ込んでしまう。イラクの国民も一体何を考えているのだろう。我々が命をかけて平和を取り戻してやったのに何の感謝もない。と不満も一杯であろう。でも一向に平和が来ない。それは米軍のとっている解決方法が間違っていると考えるべきである。
我が自衛隊は地味な目立たない活動をしているがイラクの道が整備され衛生的な水道ができるとそれにより人の心は和み、こころのゆとりが生まれ、戦闘をさけ、いずれ平和が訪れることになるまずイラクもインフラの整備から始めよう、そうすれば平和は派生的に現れてくるものだ。
おもえば東洋の思想にはこのような対処の仕方を多くの格言に残している。
あるいはイソップの寓話にも「北風と太陽」の話がある。イラクの人の心のコートを脱がすのにはアメリカ製の北風ではだめで、地道に太陽をそそがねば平和は達成できないのだ。。回り道をして、時間がかかるようであるがいずれ効果が出てくる方法もあることを知るべきである。
ちょうど気分的に落ち着かないひとに背中に灸をするようなものだ。
ということでイラクにおける自衛隊の仕事はイラク国民の平和の到来のための東洋医学的な灸治療であるということになる。
中国の漢詩には王尊と言う人が以下のような詩を書いている。
秦築長城比鉄牢
蕃戎不敢過臨跳
雖然萬里連雲際
争及尭階三尺高秦の皇帝は大変堅牢な長城を作った
蛮族はとてもこれを侵入することが出来なかった
果てしないほどに長い城であったけれど
尭や階の時代のわずか三尺の高さの塀には及ばなかった。
註)尭、階皇帝は良い政治をし人心を把握していた。だから少しの防御(三尺高)で十分に平和であった。秦皇帝は力ずくで万里の長城を作り防衛線をはったが人心を把握していなかった(ので歴史的にはすぐに滅んでしまった)。
こんなことを考えているうちに背中の灸の火はとっくに消えていた。
「また来週もきてください。」
治療には少し時間がかかるものか。
そして自分も体を整えよう。そうすれば気分も晴れる、かも。