高齢者の心臓手術について

平成5年 心臓病患者の新聞「救心友の会」掲載

現代は高齢化社会になったといわれます。高齢者の人口は増加し、このため、また病気になる人々の数も増えてきました。
県立中央病院でも、70才以上で心臓の手術を受ける患者さんが年々多くなっております。

今までに40人以上もの患者さんが手術を受けており、中には80才を越える方もおります。

ふた昔前では、人生50年とも言われ、高齢になってから心臓の手術をするなどと言うことは一般的には考えられない事でありました。ひと昔前でも70才以上の患者の心臓手術は、これを行うべきか否かは、医師の間でもしばしば論争になっておりました。当時としては手術の安全性や、術後の管理技術の点においても、不十分な点が多かった事も事実でありました。だから社会的に見ても、高齢者の心臓手術は積極的には行わないことが常識的な意見であったと思います。当時の一般の人々や患者さんにはどのような意見があったかはわかりませんが、健康になりたいと思う願望と、医療の技術的な限界の間で、悩んだことであろうと思います。

現在では医学的な諸問題はかなり解決されてきました。たしかに高齢になると身体の各臓器にはいろいろな障害が合併してきます。このための特別な対策や準備が必要になってきます。これらの配慮を十分に行えば高齢者の心臓手術といえども普通の年齢の人達に比較して、その成績はさほど悪くないといえます。

しかし今日でもなお70才以上の患者の心臓手術となると、一般の人々は、もう年だからとか何も今さら手術なんてしなくてもいいのに、などという否定的な意見が多く出てくると思います。しかしこのような意見は健康な人の立場としての意見ではないでしょうか。60代の人は80才まで生きればもう十分だと考えるでしょう。80才の人は90才まで生きればもう十分だと思うでしょう。誰でも人生は有限なものであるということは理屈では分かっております。だから一般論としては高齢になってなお大手術などをすることは、人生劇場の終盤近くで、観客から見れば、無駄な骨折り損のようにもおもえます。しかし自分自身の立場になると、もう少し長く、もう少し幸せな人生を得たいと思うものでしょう。

「磯までは海女も蓑(みの)着る時雨かな」という古い歌があります。もうあと十メートルも歩けば海の水に濡れてしまう海女さんも磯の手前までは雨に濡れないようにと蓑を着て行く姿を歌ったものでありますがこれはまさしく人の生きざまを比喩して歌われたものです。

人間はいずれ死ぬものだからとか、もう後残り少ないのだからというように人生の持ち点がだんだん少なくなって人の一生が終わるものではないように思います。人は誰も生きている間はその最後まで一生懸命に生きる努力を続けたいものです。高齢者といえども、さらに行きたいと熱望し、その手段として心臓の手術が必要であるならば、私は進んでその協力をしたいと考えております。