外科医の祈り

心臓患者のための新聞 「救心友の会」に掲載 

”念ずれば花開く” と言う言葉があります。

これは愛媛在住の詩人である坂村真民の詩の一節です。

ご存じの人も多いと思いますが、私も緑あって同氏の詩集を愛読させてもらっている一人であります。

この言葉の意味は...どうかその様になりますように、と心より念願する時には、その願いはかなって花を開く..というものと解釈できます。

念ずるということは、宝くじを買って”どうか一等が当りますように”とか、“どうぞお金が儲かりますように”という利己的な、現世利益を求める願いごとではありません。自らの知恵と努力を重ねて、力を尽くし、さらにもう力の及ばぬ所で、その結果が良い方に向くようにと祈願する心の表現であろうと思います。

明日が手術となった患者さんは、その前の晩には不安と期待の交錯した気持ちになるものでしょう。そしてどうか手術がうまくいきますようにと念ずる 心が湧いてくるものでしょう。また手術室へのエレベ-ターまで見送った家族の方々も、待合室ではひたすら手術の無事安全を心に念ずるものと思います。

それでは手術を行う側、すなわち外科医の心はどうでありましょうか。 

私は、自分自身の経験から述べるのでありますが、やはり、いつの手術に於ても“どうか手術がうまく いきますように”と念ずる気持ちが湧いてきます。 術前日は食事に気を付け、禁酒し、夜更かしをしないなど、身体の調子を整えるように気を配ります。そして手術日はいつも緊張した朝を迎えます。定型的な手術であっても、すなわち、手なれた手術であってもやはり緊張します。複雑な手術や、重症な患者さんの手術では、さらに緊張度が増加してくるものです。

手術室に入るときには、外科医は手の消毒をします。ブラシでごしごしと5分から10分間手を洗うのです。この間に緊張した心を鎮め、これから始める手術に関して思いを巡らせます。そしてこの時にも、”どうかうまくいくように.“、と念ずる心が湧いてきます。一旦、手術が始まると、あとは自分の技量と努力でこれを進めていくより他に道はないので、何ら不安も雑念も抱かず手術の完了へと進められるものです。

心臓の手術は、ほとんどが人工心肺という機械を用いて心臓を停止させて手術を行うものであります。心臓内の処置が完了したらこの止まっている心臓に電気ショックをかけて再び心拍動を開始するようにします。この瞬間は最も緊張する時であります。すなわちこの手術がうまくいって心臓が動き出すかどうかの答えを出す時であるからです。

スイッチを押す瞬間には、“動きますように” と心より念ずる気持ちになります。心臓が動き出すと心電図の音がピッピッと鳴り出します。眠りから覚めたように心臓が拍動を始めます。この時には本当にホッとします。手を合わせて拝みたくなるほどに安堵感が湧いてきます。

このように述べますと、いかにもたよりない心臓外科医のように思われるかも知れませんが、いままで20年間に多くの手術を経験してきても手術の際にはいつも同様の気持ちになっているのです。

ある外科医師の書物に ”医学的に,科学的にいくら文明が進んでも,まだ人の生命を救えるほど人間は万能ではない“、この事実を認識すれば、医師は治療に最善を尽くした後には、手術の成功を祈る心の謙虚さを持たねばならない”という言葉がありました。病気が治るだろうかとか、手術の結果がどうなるだろうかということは医学的な検査や科学的な分析によって大概は予測がつくものであります。客観的なデータの積み重ねによってこれを判断し、治療は進められていくのです。

一方、患者自身の病気を治そうとする希望とか、周辺の者のはげましや、なぐさめ、愛情などというものは何らデータ的な数値としては測られるものではありません。しかしこれらの事柄は患者の病気を回復させるには重要な要素であることは我々は経験上知っております。すなわち、病気の治療、ひいては生命現象というものは我々の持っている知識のみでは把握できない多くの要素があると思われます。

“念ずれば花開く” という言葉は患者や、その家族のみならず、病気の治療に当る医師にとっても大いに勇気ずけられることばとなるのであります。